Posted on: 2020年4月17日 Posted by: 高速隊長 Comments: 0

 平通盛が、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられる。

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金ヶ崎の戦い:朝倉氏が越前を掌握した後は朝倉氏一族の敦賀郡司がここを守護していたが、1570年(元亀元年4月26日)、朝倉氏の援軍が遅れたため、郡司朝倉景恒は織田信長に対し開城した。しかし、浅井長政が同盟を破棄して近江海津に進出し挟撃戦となり、信長は木下藤吉郎(豊臣秀吉)や明智光秀、徳川家康らに殿(しんがり)を任せ、朽木越えで京に撤退。金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)または金ヶ崎崩れとも呼ばれる。

城郭構造:山城
築城主:平通盛
主な城主:気比氏、甲斐氏、朝倉氏
遺構:城戸跡

所在地:福井県敦賀市金ケ崎町1