Posted on: 2020年4月18日 Posted by: 高速隊長 Comments: 0

尾張国の中心に位置し、、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所の地。信長が那古野城から移って、本拠として居城。桶狭間の戦いは、この城から出陣した。

もともとの城の位置は、東海道本線と東海道新幹線により分断されている。公園側に信長と濃姫の像があり。

1562年(永禄5年)に、信長と徳川家康との間で清洲同盟が結ばれた。

信長は、永禄6年(1563年)に、美濃国斎藤氏との戦に備えて小牧山城に移り、以後は番城となった。

天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲会議が開かれた。

徳川家康によって、清須城下町は名古屋城下に移転された(清洲越し)。

別 名:清須城
城郭構造:平城
天守構造:不明
     望楼型3重4階 1989年RC造模擬
築城主:斯波義重
築城年:応永12年(1405年)
主な改修者:織田信長、織田信雄
主な城主:斯波氏、織田氏、豊臣氏、福島氏、尾張徳川家
廃城年:慶長15年(1610年)
遺 構:土塁   

※名古屋城御深井丸の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」とも呼ばれている。

所在地:愛知県清須市朝日城屋敷1−1