天文2年(1533年)、公卿の山科言継は信秀から勝幡城に招かれ、その際に城の規模と出来栄えに驚いたと日記に記している(『言継卿記』)。このことから商業地の津島湊を支配下に置いていた「織田弾正忠家」の経済力が窺える。
織田信長生誕の城ともいわれている。
信秀は今川氏豊から那古野城を攻め取ると、那古野城に移り、勝幡城には家臣の武藤雄政(武藤掃部)を城代として置いた。
城郭構造:平城
築城主:織田信定
築城年:永正年間
主な城主:織田信定、信秀、信長、武藤雄政
廃城年:天文7年(1538年)?
遺 構:石碑、木碑
所在地:愛知県稲沢市平和町城之内105