名前は小牧・長久手であるが、尾張北部の小牧城、犬山城、楽田城を中心に、尾張南部、美濃西部、美濃東部、伊勢北部、紀伊、和泉、摂津の各地で合戦が行なわれた大きな戦い。
織田信長の次男信雄が、日増しに強大になる秀吉の勢力に対し危機感を持ち、織田信長の同盟者であった徳川家康に助けを求めた。家康はいつかは秀吉と決着をつけないといけないと考えていたので、これを受け入れました。
天正12年(1584)3月、ついに秀吉軍と家康・信雄連合軍は、ともに挙兵。しばらく小牧で膠着状態となったが、先に秀吉軍が動き、家康の本拠地岡崎城を攻めるために三好秀次を総大将とした別動隊を送りました。その動きを察知した家康も動き、4月9日に長久手の地で激しい戦闘が行われた。
羽柴軍 10万
羽柴秀吉
羽柴秀次
池田恒興
森長可
堀秀政
織田信雄・徳川連合軍 1.6万~3万
織田信雄
徳川家康
戦いは家康軍の勝利・・・
その後(開始から半年)、信雄が秀吉と和睦し、徳川家康の戦いの大義名分がなくなり終了。
関連した戦い:羽黒の戦い、岩崎城の戦い、白山林の戦い、桧ヶ根の戦い、北伊勢・美濃方面の戦い、岸和田城合戦、沼尻の合戦、第二次十河城の戦い、蟹江城合戦、楽田城・岩倉城の戦い、妻籠城の戦い、末森城の戦い、戸木城の戦い
長久手古戦場址 所在地:愛知県長久手市武蔵塚204
長久手城跡
長久手城跡 所在地:愛知県長久手市長久手町城屋敷2408