3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして、隠居の北条氏政と当主氏直に対し開戦、当時北条の台頭に対抗していた関東の大名・佐竹義重・宇都宮国綱らとともに数十万の大軍で小田原城を総攻撃。
小田原征伐(小田原合戦、小田原の役など)と呼ばれるこの戦いにおいて秀吉は圧倒的な物資をもって取り囲むとともに別働隊をもって関東各地の北条氏の支城を各個撃破した。
北条氏は篭城戦によって敵の兵糧不足を待ち逆襲しようとしたが、3か月の篭城戦の末ほぼ無血で開城することに。この間、北条側では和議と戦継続をめぐって議論したが一向に結論出ず、それが「小田原評定」という言葉に。
別 名:小峯城(小峰城)、小早川城(小早川館)
城郭構造:平山城
天守構造:複合式層塔型3重4階(1633年 築)(1706年 再)(1960年 RC造復興)
築城主:大森頼春
築城年:応永24年(1417年)
主な改修者:杉村氏、北条氏綱、氏政、氏直、大久保忠世、稲葉正勝
主な城主:後北条氏、阿部氏、稲葉氏、大久保氏
廃城年:1871年(明治4年)
遺 構:石垣、土塁、水堀、空堀、大堀切、土塁、郭、障子堀跡
指定文化財:国の史跡
再建造物:天守、門
所在地:神奈川県小田原市城内
日本100名城 23