徳川家康が武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を岡崎から遠江国曳馬へ移したが、その後、浜松城として西南方向に拡張し改名。
三方ヶ原の戦いでは、武田軍に圧倒され、命からがら浜松城へ帰る。多くの家臣が討取られた。
その時の姿を書き記したといわれる『しかみ像』。近年の研究では違う説も。
後の歴代城主の多くが江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」と言われていた。
別名:曳馬城、出世城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:不明
築城主:今川貞相?
築城年:永正年間(1504年 – 1520年)?
主な改修者:徳川家康
主な城主:飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏他
廃城年:1871年(明治4年)
遺構:石垣、曲輪
再建造物:再建模擬天守
所在地:静岡県浜松市中区元城町100ー2