『大興はんのお城』と市民からは慕われていますが、豊臣時代の遺構はすべて埋没しており、現在の城域は徳川時代のもの。
戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年(天正8年)に石山合戦で焼失した。その後、豊臣秀吉が天下を掌中に収めると、権力と財力で築城。豊臣政権の中心地として大阪の街が発展。
大坂夏の陣で豊臣家が滅びるとともに焼失。その後、徳川家康が盛り土をし再建。1665年(寛文5年)には落雷にり天守を焼失し、以後は天守を持たない城となった。
別名:錦城、金城
城郭構造:輪郭式平城または平山城
天守構造:
・複合式もしくは連結式望楼型5重6階地下2階(1585年築)
・独立式層塔型5重5階地下1階(1626年修築)
※いずれも非現存
・独立式望楼型5重8階(1931年復興・SRC造)
築城主:豊臣秀吉
築城年:1583年(天正11年)
主な改修者:徳川秀忠
主な城主:豊臣氏、奥平氏、徳川氏
廃城年:1868年(明治元年)
遺構:櫓、門、石垣、堀
所在地:阪府大阪市中央区大阪城1−1
日本100名城 No.54
石山本願寺の碑