Posted on: 2020年4月17日 Posted by: 高速隊長 Comments: 0

国宝:天守、附櫓及び多聞櫓

関ケ原の戦いの後、佐和山城へ入城した井伊直政は、佐和山城が中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌ったため、琵琶湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画。しかし、関ヶ原の戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去。家督を継いだ井伊直継が幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に面した彦根山(別名、金亀山)に天下普請で築城。

城の北側の玄宮園と楽々園という大名庭園も有名

雪の彦根城

別 名:金亀城
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:複合式望楼型 3重3階地下1階(1604年築)
築城主:井伊直継
築城年:1622年  (元和8年)
主な城主:井伊氏
廃城年:1874年(明治7年)
遺 構:現存天守、 櫓、門、塀、馬屋、石垣、土塁、堀

所在地:滋賀県彦根市金亀町1−1

日本100名城 No.50