城主 戸田康光は、人質として今川氏へ送られる竹千代(後の徳川家康。康光は義母の父に当たる)を護送する任を受けるも、寝返って竹千代を今川氏の敵方の織田信秀に送ってしまったため今川義元の怒りを買い、田原城は今川方の攻撃を受けて落城、城主康光も戦死し、今川方の城に。桶狭間の戦いの後は、松平方に。
江戸時代になると、田原城には三河の他の主な城と同様に譜代大名が置かれたため、1万石そこそこと少ない石高ながらも藩を形成した。
別 名:巴江城
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:なし
築城主:戸田宗光
築城年:文明12年(1480年)ころ
主な改修者:池田輝政
主な城主:戸田氏、伊木家、三宅氏
廃城年:明治4年(1872年)
遺 構:石垣、堀
所在地:愛知県田原市田原町巴江11-1