Posted on: 2020年4月27日 Posted by: 高速隊長 Comments: 0

徳川家康が関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣の山内一豊が5万1千石(のち5万9千石)で入城。一豊により近世城郭としての体裁を整えた城郭なった。

一豊は、関ケ原の戦いで徳川方につき、その後高知へ移転。掛川城へは譜代大名が入城。

木造復元された城。

別 名:懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城
城郭構造:平山城
天守構造:不明3重(1621年再建 非現存)
     複合式望楼型3重4階(1996年 木造復元)
築城主:朝比奈泰煕
築城年:文明年間(1469年〜1487年)
主な改修者:山内一豊
主な城主:朝比奈氏、山内氏、太田氏、石川氏
廃城年:1871年(明治4年)
遺 構:二の丸御殿・太鼓櫓(移築)・大手門番所(移築)・石垣・土塁・堀(いずれも一部)

所在地:静岡県掛川市掛川1138番地の24

日本100名城 No.42