戦国大名の朝倉氏の居城
北の京都といわれ、大変栄えていたと伝わるも、朝倉義景が織田信長との戦いで敗れ大野へ逃れたのち、織田軍により火を放たれ灰燼に帰した。
その後、朝倉氏旧臣の桂田長俊(前波吉継)が一乗谷に館を構え、越前を統治していたが、越前一向一揆により長俊は一族もろとも討ち取られた。
信長が一揆を平定したのちは、柴田勝家は北ノ庄に本拠地を移したため、この地は田畑となり歴史の舞台から忘れ去られた。
現在は発掘調査中、再現公開中
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別 名 :一乗谷城
城郭構造:山城
天守構造:なし
築 城 主 :朝倉氏
築 城 年 :南北朝時代
主な城主:朝倉氏、桂田長俊
廃 城 年 :1575年(天正3年)
遺 構 :土塁、堀、虎口、石垣、礎石、
指定文化財:遺跡(特別史跡)、庭園(特別名勝)、遺跡出土品(重要文化財)
所在地:福井県福井市城戸ノ内町
日本100名城 No.37